高齢化が急速に進む日本において、白内障や緑内障といった加齢性疾患を扱う眼科医療は、需要が増大する一方で、大きな構造の変化も起こっています。 かつては「眼科は開業すれば安泰」と言われた時代もありましたが、現在は市場の飽和を示す兆候も一部で見え始めています。 今回は、厚生労働省の統計や業界データをもとに、眼科クリニックの新規開業と廃業の実態、そして近年増加している「事業承継」という新たな選択肢について解説します。
日本の眼科医療市場は、長らく成長を続けてきましたが、その成長曲線には変化が生じています。 厚生労働省が公表している「医療施設調査」のデータによると、眼科診療所の総数は過去20年間にわたり増加トレンドを維持してきましたが、直近ではその伸びが明らかに鈍化しています。 2023年のデータでは前年比の増加率はわずか0.1%にとどまっており、市場は飽和の様相を呈しています。
これは、新規開業自体が止まったことを意味するものではありません。 実際には、多くの新しいクリニックが開業していますが、同時に市場から退出する「廃業数」も増加しており、これらが互いに相殺し合うフェーズに入っているのです。 かつてのような右肩上がりの成長期から、開業と廃業が入り乱れる新陳代謝の激しい「成熟期」へと、市場の構造がシフトしていると言えます。
この動向をより詳細に見ると、地域による明らかな偏り、いわゆる「二極化」が進んでいることがわかります。
東京都、神奈川県、大阪府などの大都市圏では、依然として診療所数は増加傾向にあります。 駅前の再開発ビルや、大型商業施設内へのテナント開業が活発に行われており、人口集中エリアでは「オーバーカンパニー(供給過多)」とも言える状況が生まれつつあります。
対照的に、地方部での状況は異なります。 北海道や東北地方、四国地方の山間部などでは、高齢化による閉院に対し、それを補うだけの新規開業が追いついていません。 その結果、眼科診療所数が「純減」しているエリアが存在します。 医師の都市部志向や、地方における人口減少による採算性の悪化により、医療提供体制の地域格差が拡大しているのが現状です。
なぜ、需要があるにもかかわらず廃業が増えているのでしょうか。 その最大の要因は、経営破綻ではなく「院長の高齢化」と「後継者不在」にあります。 日本医師会の調査によれば、開業医の平均年齢は60歳を超えており、70代や80代で現役を続けている医師も珍しくありません。
しかし、いざ引退を考えた際に、スムーズにバトンタッチができるケースは稀です。 子供が医師であっても、専門科が異なっていたり、大学病院での研究を優先したり、あるいは都市部で生活基盤を築いているため実家には戻らない、といった理由で継承に至らないケースが過半を占めます。 経営状態が黒字でありながら、物理的に診療を継続できる医師がいなくなることで閉院を余儀なくされる「黒字廃業」が、特に地方で顕著になっています。
都市部においては、別の理由による淘汰も始まっています。 内装や設備が古くなり、昭和の雰囲気が残る医院や、WEB予約やキャッシュレス決済に対応していない利便性の低い医院は、近隣に新しくできた綺麗でサービスの良いモール型クリニックに患者を奪われる傾向にあります。
また、眼科特有の深刻な課題として「視能訓練士(ORT)の採用難」が挙げられます。 眼科診療において正確な検査は不可欠ですが、その担い手であるORTは極度の売り手市場です。 地方や条件の悪いクリニックではORTを採用できず、検査体制が維持できないために閉院に追い込まれる「人手不足廃業」も増加しています。
これから開業を目指す医師にとって、環境は厳しさを増しています。 その一つが「初期投資の高騰」です。 建設物価調査会等のデータによると、医療施設の建築単価は過去10年で約1.3倍から1.5倍に上昇しています。 これにより、土地を購入して建物を建てる「戸建て開業」の初期投資は数億円規模に膨らんでおり、若手医師が個人で融資を受けるにはハードルが高くなっています。
そのため、現在の主流は「テナント開業」へとシフトしています。 特に集客力のある医療モールや商業施設内での開業は、初期投資を数千万円から1億円程度に抑制できるため、リスクを抑えたい医師に選ばれています。 しかし、高度な医療機器(OCTや手術装置など)への投資は依然として必要であり、ゼロからの新規開業における資金面での圧力は年々増しています。
こうした中で、有力な選択肢として注目されているのが、既存の医院を引き継ぐ「事業承継」です。 これには、新規開業にはない大きなメリットがあります。
第一に、初期コストの大幅な削減です。 既存の建物や内装、まだ使える医療機器を引き継ぐことで、すべてを新品で揃えるよりも大幅に投資を抑えることが可能です。
第二に、患者基盤の継承です。 ゼロからの開業では患者が集まるまでの「立ち上がり期間」の赤字がリスクとなりますが、承継開業では前院長の代からの患者カルテや地域での認知度を引き継げるため、開業初日から一定の収益が見込めます。
第三に、スタッフの継続雇用です。 前述したように採用が極めて困難な視能訓練士や看護師などのスタッフを、そのまま引き継げる場合があります。 これにより、開業時の最大のリスクである人材確保の課題を一挙に解決できる可能性があります。
眼科医療市場は、人口減少と高齢化の中で「集約と連携」の時代へと向かっています。 廃業の増加は避けられない現実ですが、それは単に悲観すべきことではありません。 これは、時代に合わなくなった古い体制がなくなり、次世代の医師が既存の医療資源を有効活用して、より効率的な経営へと転換するチャンスでもあります。
ゼロからすべてを作り上げる「新規開業」だけでなく、地域医療を守りつつ合理的な経営スタートが切れる「事業承継」は、これからの眼科医にとって極めて有力な選択肢となるでしょう。
高齢化が急速に進む日本において、白内障や緑内障といった加齢性疾患を扱う眼科医療は、需要が増大する一方で、大きな構造の変化も起こっています。
かつては「眼科は開業すれば安泰」と言われた時代もありましたが、現在は市場の飽和を示す兆候も一部で見え始めています。
今回は、厚生労働省の統計や業界データをもとに、眼科クリニックの新規開業と廃業の実態、そして近年増加している「事業承継」という新たな選択肢について解説します。
眼科クリニック数の推移と現状
新規開業と廃業のバランス
日本の眼科医療市場は、長らく成長を続けてきましたが、その成長曲線には変化が生じています。
厚生労働省が公表している「医療施設調査」のデータによると、眼科診療所の総数は過去20年間にわたり増加トレンドを維持してきましたが、直近ではその伸びが明らかに鈍化しています。
2023年のデータでは前年比の増加率はわずか0.1%にとどまっており、市場は飽和の様相を呈しています。
これは、新規開業自体が止まったことを意味するものではありません。
実際には、多くの新しいクリニックが開業していますが、同時に市場から退出する「廃業数」も増加しており、これらが互いに相殺し合うフェーズに入っているのです。
かつてのような右肩上がりの成長期から、開業と廃業が入り乱れる新陳代謝の激しい「成熟期」へと、市場の構造がシフトしていると言えます。
場所による違い
この動向をより詳細に見ると、地域による明らかな偏り、いわゆる「二極化」が進んでいることがわかります。
東京都、神奈川県、大阪府などの大都市圏では、依然として診療所数は増加傾向にあります。
駅前の再開発ビルや、大型商業施設内へのテナント開業が活発に行われており、人口集中エリアでは「オーバーカンパニー(供給過多)」とも言える状況が生まれつつあります。
対照的に、地方部での状況は異なります。
北海道や東北地方、四国地方の山間部などでは、高齢化による閉院に対し、それを補うだけの新規開業が追いついていません。
その結果、眼科診療所数が「純減」しているエリアが存在します。
医師の都市部志向や、地方における人口減少による採算性の悪化により、医療提供体制の地域格差が拡大しているのが現状です。
廃業が増加している主な要因
後継者の不在
なぜ、需要があるにもかかわらず廃業が増えているのでしょうか。
その最大の要因は、経営破綻ではなく「院長の高齢化」と「後継者不在」にあります。
日本医師会の調査によれば、開業医の平均年齢は60歳を超えており、70代や80代で現役を続けている医師も珍しくありません。
しかし、いざ引退を考えた際に、スムーズにバトンタッチができるケースは稀です。
子供が医師であっても、専門科が異なっていたり、大学病院での研究を優先したり、あるいは都市部で生活基盤を築いているため実家には戻らない、といった理由で継承に至らないケースが過半を占めます。
経営状態が黒字でありながら、物理的に診療を継続できる医師がいなくなることで閉院を余儀なくされる「黒字廃業」が、特に地方で顕著になっています。
競争激化とスタッフ採用難
都市部においては、別の理由による淘汰も始まっています。
内装や設備が古くなり、昭和の雰囲気が残る医院や、WEB予約やキャッシュレス決済に対応していない利便性の低い医院は、近隣に新しくできた綺麗でサービスの良いモール型クリニックに患者を奪われる傾向にあります。
また、眼科特有の深刻な課題として「視能訓練士(ORT)の採用難」が挙げられます。
眼科診療において正確な検査は不可欠ですが、その担い手であるORTは極度の売り手市場です。
地方や条件の悪いクリニックではORTを採用できず、検査体制が維持できないために閉院に追い込まれる「人手不足廃業」も増加しています。
変化する開業スタイルと「事業承継」という選択
高騰する初期投資
これから開業を目指す医師にとって、環境は厳しさを増しています。
その一つが「初期投資の高騰」です。
建設物価調査会等のデータによると、医療施設の建築単価は過去10年で約1.3倍から1.5倍に上昇しています。
これにより、土地を購入して建物を建てる「戸建て開業」の初期投資は数億円規模に膨らんでおり、若手医師が個人で融資を受けるにはハードルが高くなっています。
そのため、現在の主流は「テナント開業」へとシフトしています。
特に集客力のある医療モールや商業施設内での開業は、初期投資を数千万円から1億円程度に抑制できるため、リスクを抑えたい医師に選ばれています。
しかし、高度な医療機器(OCTや手術装置など)への投資は依然として必要であり、ゼロからの新規開業における資金面での圧力は年々増しています。
既存の医院を引き継ぐメリット
こうした中で、有力な選択肢として注目されているのが、既存の医院を引き継ぐ「事業承継」です。
これには、新規開業にはない大きなメリットがあります。
第一に、初期コストの大幅な削減です。
既存の建物や内装、まだ使える医療機器を引き継ぐことで、すべてを新品で揃えるよりも大幅に投資を抑えることが可能です。
第二に、患者基盤の継承です。
ゼロからの開業では患者が集まるまでの「立ち上がり期間」の赤字がリスクとなりますが、承継開業では前院長の代からの患者カルテや地域での認知度を引き継げるため、開業初日から一定の収益が見込めます。
第三に、スタッフの継続雇用です。
前述したように採用が極めて困難な視能訓練士や看護師などのスタッフを、そのまま引き継げる場合があります。
これにより、開業時の最大のリスクである人材確保の課題を一挙に解決できる可能性があります。
まとめ
眼科医療市場は、人口減少と高齢化の中で「集約と連携」の時代へと向かっています。
廃業の増加は避けられない現実ですが、それは単に悲観すべきことではありません。
これは、時代に合わなくなった古い体制がなくなり、次世代の医師が既存の医療資源を有効活用して、より効率的な経営へと転換するチャンスでもあります。
ゼロからすべてを作り上げる「新規開業」だけでなく、地域医療を守りつつ合理的な経営スタートが切れる「事業承継」は、これからの眼科医にとって極めて有力な選択肢となるでしょう。